カポエィラ(カポエラ、カポエイラ)とは、音楽の演奏の中で二人が踊りと闘いを混ぜた動きで遊ぶブラジルの伝統文化です。
16〜19世期の間にアフリカよりブラジルに奴隷として連れて来られた人々が生み出したアフロ・ブラジル文化、伝統芸能で、起源はアフリカとされています。地方としては主に、ブラジルの北東部地方のバイーア州でカポエィラは形成し、残されたという説が強く、19世紀にはリオ・デ・ジャネイロの都市部でも独自の発展をします。現在の形となったのは、主にバイーア州のサルバドール市、リオデジャネイロ、サンパウロなどの都市部でのカポエィラの発展です。
円(ホーダ)になって、民族楽器で奏でる音楽と歌、そして円の中心で行われる二人の踊り手がコミュニケーションを取りながら、遊び・掛け合い・駆け引きをして楽しみます。闘いとも言われますが、老若男女、あらゆる人種やジェンダーを問わず、すべての人が一緒に行えることを目指すものです。
1890年から1937年までカポエィラはブラジルで違法でしたが、今日ではカポエィラのホーダはユネスコによってブラジルの無形文化財に登録されるなど、世界的に価値を見出され、ブラジル国内外、世界各国で様々な人に練習され、親しまれています。
カポエィラは、踊り、闘い、格闘技、民族楽器が弾かれ、歌も歌われるもの。それらすべてが複合的に合わさったものです。先生から、もしくはグループで学び、日々の練習の積み重ねや経験をしていくことで、少しずつ理解をしていきます。音楽に合わせて基本のリズムとステップを踏み、相手と動きを合わせて行います。それは自分自身との対話でもあり、身体表現を通した自由の獲得でもあります。歴史と伝統を学ぶことで養える、抵抗としての文化芸術表現でもあります。
師範やそのグループ・団体、流派とスタイルなどにより、カポエィラも千差万別です。それらの多様性そのものがアフロ・ブラジル文化を現すものとして大切にされている要素です。
カポエィラ・アンゴーラのホーダの昔と今
現在カポエィラは、大きく分けて3つの流派に分けられています。
これに当てはまらず、カポエィラという名称のみを使用したり、その他の流派やアイデンティティも存在します。また、同じ流派でも、先生やグループの違いによって、教えにも差異があります。
カポエィラ・アンゴーラ
1940年代に形作られる、より昔のカポエィラを残す流派。カポエィラをアフリカ起源とする精神性、伝統、口承文化を教えとする。音楽性や儀礼性の伝承に力を入れ、特に非暴力を説きます。低い姿勢で、よりゆっくりとした動きが多く、土着的な踊りのように見えます。主楽器ビリンバウを3本、パンテイロ2枚、アゴゴ、ヘコヘコ、アタバキを演奏し、リズム・テンポもよりゆっくり。ユニフォームには帯を使用しない。カポエィラ・ヘジォナウ流派の流行により一度は衰退したものの、1980年代より若い世代によるムーブメントが起きることにより、年配の師範たちの教えの大切さが残されていく。
カポエィラ・ヘジォナウ
1930年代にメストレ・ビンバによって形作られ、その当時のカポエィラに格闘技的な技や型が導入された流派。ビリンバウは1本、パンデイロは2枚使用して演奏する。ユニフォームには帯が使用され、昇段式、などのシステムが導入される。テンポも早く、より攻防を特徴とした流派。
カポエィラ・コンテンポラーニャ
現代(コンテンポラリー)という言葉を用いられた呼び名。動き、楽器、音楽性など、上記のアンゴーラとヘジォナウ流派いずれも混ざり、進化した流派。よりアクロバット性が強く、スポーツとしても考えられる。
ホーダ(演舞)とは
/Roda de Capoeira Angola
カポエィラでは基本的に技を直接相手に当てることをしません。むしろ技を止められる(コントロールできて いる)ところがテクニックとして評価されています。 遊びの要素を多分に持っているため、顔の表情で相手をからかったり、巧みなフェイントで相手を攪乱する技術も大きな見どころです。
したがってはっきり勝ち負けをつけることはなく、伝統的にもカポエィラには 試合という形式がありません。したがってホーダ(カポエイラをする円)では相手を尊重し、どのような遊びがその瞬間にできるか、お互いのベストをつくし握手をして終える為、ここに男も女も子供も大人も一緒に楽しめる秘訣があります。
カポエィラの練習はグループで行うのが原則で、みんなが一緒に練習することで性別や年齢の違 うグループ内で個々の役割に気づいていきます。この習慣により自己との対話、心と体の繋がりを認識し、またそこから集団へ繋がることを目的とします。